集団的自衛権をめぐる情勢も大詰めを迎えつつあるように思えます。
5月3日の「憲法講演会」で沖縄県憲法普及協議会が配布した集団的自衛権に関する資料に改めて目を通してみました。
そして、「Q&A形式のこの資料を多くの方が目にしてもらいたい」との思いに駆られ、私の独断でアップすることにしました。

集団的自衛権とは何だろう?
本当に日本の平和と国民を守ることにつながるのだろうか?
集団的自衛権に関する疑問について、沖縄県憲法普及協議会の資料が、その答えを見つける一助にしていただければと思います。

なお、憲法講演会で紹介されたノーマ・フィールドさんへのインタビューは 沖縄県憲法普及協議会のブログで読むことができます。

戦争のにおいがする「集団的自衛権」って何?

Q1 今話題の「集団的自衛権」って何ですか。
   政府の見解では、集団的自衛権は、「自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止する権利」とされています。要するに、仲間の国がやられたら、自国が攻撃されているわけでもないのに一緒になって戦争に参加して反撃する、という権利です。
Q2 集団的自衛権という考え方は、いつ生まれたのですか。
   1945年に国際連合が誕生したときに、国連憲章51条に規定されて初めて確立しました。この条文では、「この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。」と規定されました。ここで「個別的自衛権」というのは、従来からあるとされてきた国家の自衛権です。
 国連憲章で集団的自衛権は「固有の権利」と規定されていることを根拠に、これは国家の「自然権」(もともと備わっていた権利)だと主張する人もいますが、国連憲章以前には集団的自衛権の考え方は確立していませんでした。国連憲章の草案段階でも、集団的自衛権の規定はなかったのです。これに対して、中南米諸国からの要求により、最終案でこの規定が挿入されました。
Q3 国連憲章では、集団的自衛権の行使は自由に認められているのですか。
   集団的自衛権の行使は、国連憲章でも無制限に認められているのではありません。
 憲章は、2条4項で国際紛争の平和的解決の原則を掲げ、戦争を禁止しており、国連自身も非軍事的措置により国際紛争を解決することを優先させています(41条)。そして、42条により、やむをえない最終手段として安全保障理事会の決議による軍事的措置をとるとしているのです(この仕組みを「集団的安全保障」といいます)。
 個別的自衛権や集団的自衛権は、安保理事会が「必要な措置(集団的安全保障の措置)をとるまでの間」の一時的な権利であり、しかも、それは、実際に「武力攻撃が発生した場合」にしかできない、とされています(51条)。つまりあくまでも自衛権行使は制限的で例外措置であり、なかでも集団的自衛権は、Q2でも述べたとおり、「本流の」権利ではないのです。
 なお、アメリカは、これまで、「武力攻撃が発生した場合」に限られず「先制自衛」ができる、という主張をしてきたこともあり、国連のルールに必ずしも従っていないことに注意すべきです。
Q4 日本国憲法では集団的自衛権の行使は禁止されているのですか。
 

 自衛隊が憲法9条に違反するかどうかについては、これまで議論が対立してきました。しかし、自衛隊は9条違反ではないとする日本政府自身が、これまで長きにわたって、9条のもとでは日本は集団的自衛権の行使は禁止されている、と解釈してきました。例えば1972年10月14日の参議院決算委員会提出資料では、次のとおり説明しています。


(憲法は)わが国がみずからの存立を全うし国民が平和のうちに生存することまでも放棄していないことは明らかであって、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとることを禁じているとはとうてい解されない。しかしながら、だからといって、平和主義をその基本原則とする憲法が、右にいう自衛のための措置を無制限に認めているとは解されないのであって、それは、あくまでも国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底からくつがえされるという急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの権利を守るための止むを得ない措置として、はじめて容認されるものであるから、その措置は、右の事態を排除するためとられるべき必要最小限度の範囲にとどまるべきものである。そうだとすれば、わが憲法の下で、武力行使を行うことが許されるのは、わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られるのであって、したがって、他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とするいわゆる集団的自衛権の行使は、憲法上許されないといわざるを得ない。


 つまり、国がある以上、国民を守るために自衛権があり、そのためのぎりぎり最小限度の武力行使までは9条といえども禁止していない、他方では、戦力不保持という徹底的な平和主義の9条があるからには、その存在意義があるはずで、それは自らの自衛以外の措置である集団的自衛権の行使などは禁じられる、ということです。これは、9条と自衛隊の存在を矛盾なく説明するための究極の見解だったといえます。
 Q5  安倍さんたちは、どうして集団的自衛権を行使できるようにしようとしているのですか。
    まず第1に、アメリカが、財政経済力の相対的低下をふまえ、同盟国への軍事的役割分担の増強を求め続けてきたことがあげられます。例えば、元米国務副長官アーミテージが2012年に発表した最新の第3次報告でも、「地域的な不測の事態において米国とともに行う防衛を含む責任分野を拡大すべきである。」などと言われています。
 他方、第2に、これは日本側の願望でもあります。まず、石破茂氏はこう言っています。「アメリカの力は相対的に落ちている。それを日本が補う。そのことによってアジア太平洋地域におけるアメリカの権益も確保される。そういう構造をつくっておけば、有事の際に、アメリカ軍が出ることに対してアメリカの納税者も納得するでしょう。」と(石破茂「日本人のための『集団的自衛権』入門」)。
 それから、日本自身が積極的に集団的自衛権行使禁止から解放されたい、という要求もあります。昨年12月に閣議決定された「国家安全保障戦略」では、大量破壊兵器の拡散や国際テロ、宇宙空間やシーレーンなどでの脅威などを挙げ、日本がこれまでと違う「積極的平和主義」を果たすことが必要といっています。つまり、日本の軍事力を、日本の国土の保全だけではなく国際安全保障環境改善のために利用しようということです。
Q6 安倍さんは、どのような方法で集団的自衛権行使を解禁しようとしているのですか。
   安倍首相が2013年2月に設置した私的諮問機関「安全保障の法的基盤の整備に関する懇談会」(安保法制懇)が、まもなく、憲法上認められる「自衛のための必要最小限度の実力行使」に集団的自衛権が含まれるという報告書を政府に提出すると予想されています。首相は、この「有識者のお墨付き」を錦の御旗として与党をとりまとめ、閣議決定により、これまでの憲法解釈を改めようとしています。
 また、それの法的裏づけとして、自衛隊の任務として集団的自衛権行使や、国連による軍事的措置への参加を盛り込んだ「安全保障基本法案」を、近い将来国会に提案して通そうとしています。
 安倍首相はもともと9条の改憲をもくろんでいましたが、憲法改正条項である96条の改憲に失敗し、明文改憲が難しいことが分かった段階で、解釈改憲に大きく舵を切っていったのです。
Q7 どうして集団的自衛権の行使容認はだめなのですか。
   まず、集団的自衛権行使ができる、ということになれば、日本ができる武力行使の範囲が他の「普通の」国々と同じになり、9条という特別な憲法の条文を解釈で完全に葬り去ることになります。戦後の日本は、戦争で一人も殺さず、また一人も殺されませんでした。それは、海外での武力行使を禁止してきた9条があったからです。集団的自衛権行使が認められると、戦争で人が死ぬということがすぐ目の前に迫ってくるでしょう。世界の反対を押し切ってアメリカが始めたイラク戦争では、同盟軍のイギリス軍も参加し、殺し、殺されました。これと同じことが日本でも起こりうるのです。そして、戦後のわが国が「平和国家」として世界の人々から得ていた信頼も失われるでしょう。
 また、集団的自衛権解禁を解釈改憲で行うことは、「立憲主義」に違反します。立憲主義とは、国民が憲法によって権力者の権限をしばり、その暴走を防ぐという考え方で、近代憲法の大原則です。権力者が勝手に憲法の解釈を変えることができるのであれば、国家の暴走を止められなくなってしまいます。
 集団的自衛権行使の解禁は、戦後の日本のあり方を180度転換させることになるのです。
Q8 世界で過去に集団的自衛権が役に立った例はあるのですか。
   集団的自衛権というと、弱い仲間がいじめられているときに助けてあげる、というイメージがありますが、過去に世界で「集団的自衛権」の名のもとに行われた戦争は、とんでもないものばかりです。ハンガリー動乱(1956年・ソ連)、ベトナム戦争(1964年~・アメリカ)、チエコスロバキア侵攻(1968年・ソ連)、アフガニスタン侵攻(1979年~・ソ連)、ニカラグア軍事介入(1981年・アメリカ)、アフガニスタン戦争(2001年~・アメリカ)…。「集団的自衛権」という仕組みがいかに戦争の口実に使われ、想定されたとおりに機能していないか、がわかると思います。
Q9 最高裁判決でも、集団的自衛権行使は認められると判断されたとの主張もありますが、ほんとうですか。
   自民党の高村正彦副総裁が、1959年12月の砂川事件最高裁判決も日本が集団的自衛権の行使ができることを認めているではないか、と言い始めました。砂川事件というのは、米軍立川基地拡張に反対した市民が安保条約に基づく刑事特別法違反に問われた事件です。ここでは、日米安保条約によって駐留する米軍が9条に違反するかどうかが問われました。
 高村副総裁は、最高裁が、「わが国が自国の平和と安全を維持し,その存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然」と述べたことを理由に挙げています。しかし、この当時、日本自身による集団的自衛権の行使が問題にされたことはなく、これまで法学者の中で、最高裁判決が集団的自衛権を論じたのだ、と解釈する人は誰もいませんでした。
 最高裁判決を口実に集団的自衛権行使を認めよう、という見解は、まさに突拍子もない議論といわねばなりません。
Q10 限定的」な行使であればよいのでしょうか。
   最近、「集団的自衛権限定容認論」というのが頭をもたげています。自衛のための最小限度なら9条でも認められる、集団的自衛権も「最小限」ならよいのではないか、という議論です。
 たとえば、安保法制懇で検討されている「限定」というのは、次の6条件が備わる場合のみ集団的自衛権を認める、といいます。すなわち、①放置すれば日本の安全に重大な影響がでる場合、②日本と密接な関係にある国が攻撃を受けた場合、③連係相手からの明示的な要請、④第三国の領域通過には許可を得る、⑤首相が総合判断をする、⑥国会が承認する、というのです。
 しかし、「日本の安全に重大な影響」とか「日本と密接な関係」とかは、いかようにでも拡大解釈できます。アメリカが自国の安全のため、と言いつつアフガニスタンやイラクを攻撃したのですから、「限定容認」は際限のない戦争協力へと進むでしょう。
Q11 尖閣諸島や北朝鮮のミサイル発射など不安材料があるので、集団的自衛権もやむをえないのではないですか。
   まず、日本が攻撃されるおそれがあるのか、という疑問はありますが、それはさておいても、日本の領域が本当に侵害されたときには、集団的自衛権ではなく、日本の個別的自衛権行使で足りることです。
 ただ、安保法制懇などでは、①自衛隊と一緒に行動する米艦船が攻撃されたらどうするのか、②北朝鮮からアメリカ向けのミサイルが発射されたらどうするのか、③朝鮮半島有事の際に北朝鮮に向かう船舶を臨検できるようにすべきではないか、などと言われます。
 しかし、①については、「世界最強」の米軍がいきなり公海で攻撃されて他国の援助を仰がなければならないような事態などありえないでしょう。②についても、アメリカ向けにミサイルが発射されたとすれば、日本の上空ではなくロシアを通過するので、迎撃などできません。③についても、朝鮮半島有事に際して、どこの国が海上経由で北朝鮮に武器などを運搬するのでしょうか。容認論者の議論は、ありもしない架空の事態を、さも危険であるかのように論じており、要注意です。
Q12 わが国がめざすべき道は。
   わが国は、集団的自衛権行使を認めて「普通の国」になるべきでしょうか。それとも9条を掲げた「平和国家」として歩み続けるべきでしょうか。
 まず大切なのは、わが国がどのような態度をとることが、近隣の国々からの信頼を得て、平和を築いていくことにつながるか、ということです。侵略戦争でアジア太平洋地域に多大な被害を被らせた国として、もう海外に軍隊は送らない、という約束がどれだけ平和に貢献してきたかを考えるべきです。
 もう一つは、9条をもつ「特別な国」のチャレンジです。スイスやノルウェーなど、国際紛争の平和的仲介者として信頼の厚い国々があります。日本もその平和ブランドを活かして、国際紛争の平和的解決への使者をめざす道があるのではないでしょうか。