13日の自公両党による与党協議で、高村正彦自民党副総裁が示した新たな武力行使の三原則について、公明党の北側一雄副代表は「党内でしっかり議論したい」と述べたことで、新聞は「集団的自衛権 公明執行部も容認 解釈改憲へ方針転換」などと書きたてている。

高村副総裁が示した新たな3条件というのが、


1 日本に対する武力攻撃、または他国に対する武力攻撃が発生、日本の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から脅かされるおそれ
2 国民の権利を守るため他に適当な手段がない
3 必要最小限度の実力行使


というものである。

抽象的な、あまりに抽象的な議論

上記の1及び2で、一体具体的にどのような事態が想定されるのか?
ここのところがさっぱり分からないのである。

1を分解して、「 日本に対する武力攻撃が発生、日本の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から脅かされるおそれ」というのは、個別的自衛権の問題である。残るのは、「他国に対する武力攻撃が発生、日本の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から脅かされるおそれ」となる場合が集団的自衛権の発動となる。

他国に対する武力攻撃が発生した時に、なぜ日本の存立が脅かされるのか?
軍事には門外漢ではあるが、それは日本に駐留する米軍基地が攻撃の対象となる場合ではないだろうか?
そんなことで、日本が殺し、殺される国になってしまっていいものだろうか?
米軍基地があるために日本が、沖縄はその最大の標的になるのであるが、戦争に巻き込まれるのだとすると、そうならないためには、米軍基地を撤去した方がよっぽど「日本の存立、国民の生命、自由及び幸福追求の権利」を守ることになるのではないだろうか。

「2 国民の権利を守るため他に適当な手段がない」というのは、紛争や内戦が勃発した国で、その国に在住している日本人を救出することが想定されているように思える。
この点についての答えは、ペシャワール会の中村哲氏の言葉に準備されていると思う。
「欧米諸国がアフガンに軍隊を出したことから現地住民の憎しみや怒りが増幅。欧米のNGO関係者は現在、テロの標的となる危険が高まったことから活動拠点のジャララバードから撤退した。それでも同地に残るペシャワール会について、中村氏は「憲法9条を持つ日本は『戦闘に参加しない国』という信頼感があり、それが私たちの活動を守っている」と強調。「欧米のように軍事力を使い、日本人というだけでターゲットになれば当然私は逃げる」(5月26日、毎日新聞WEB版より)

「3 必要最小限度の実力行使」に至っては、どんな武力行使をしようが、「それが必要最小限だった」で言い逃れることができる。

安倍首相は、集団的自衛権の行使容認の閣議決定を性急に行おうとしているが、具体的に想定される事態について明らかにせず、言葉あそびのような与党協議の結果だけで、国の最高法規である憲法、そのなかでも自国民と他国民のおびただしい犠牲の上に打ち立てられた9条を、いともたやすく投げ捨てることは許されることではない。