タイムス記事安倍政権の石井国交相は、11月17日に翁長沖縄知事を相手に代執行訴訟を起こした。

翁長知事が辺野古に基地は造らさないとの民意を受けて、2013年12月に仲井眞前知事が行った公有水面埋立承認を取り消したことに対して、翁長知事が取り消しを取り消さなければ国が代わって取り消すから裁判所は認めてくれ、という趣旨の裁判である。

行政不服審査法による執行停止や不服審査申立て、もちろん辺野古に基地建設を強行することも、持ち出すことは決まって「普天間の危険性除去」である。

普天間基地が危険なのは、百田氏が言うように、田んぼだけの所に基地を作り、商売になると思った人たちが住むようになったから危険になったのではない。

米軍自体、海兵隊が普天間を使用する前から、「普天間飛行場を海兵隊が使用するのは危険」と認識していたのである。

昨年10月17日付の沖縄タイムスと琉球新報には、関東学院大の林博史教授と恩納村村史編さん室の清水史彦氏が入手した米公文書の内容を報じている(画像は沖縄タイムス)

それによると、「1947年当時の琉球米陸軍司令部が、海兵隊移管前で休止状態だった普天間飛行場について、稼働すれば近接する陸軍基地の拡張予定地に『危険と不快な騒音』が生じるとして、陸軍の航空部門(現空軍)による私用を控えるよう要請していた」とある。

陸軍の航空が使用すれば「危険と不快な騒音」が発生するので使用しないことを求めていた普天間に、海兵隊が移駐してくれば、同じく危険であるのは道理である。

危険だとわかっていた普天間に海兵隊を移駐させた日米両政府こそ、沖縄に危険を押し付けた張本人である。

それに頬かむりして、「1996年のSACO合意が原点」とし、普天間の固定化が嫌なら辺野古を認めろといった安倍政権の態度は傲慢で、道理に合わないと言える。

ちなみに、海兵隊は朝鮮戦争勃発によって岐阜県と山梨県に配備されていたが、反基地感情が高まるのを恐れた日米両政府が、米軍占領下にあり国民の目の届かない沖縄に、1956年に移駐させたものだ。