昨日6月23日は、沖縄は慰霊の日で、県下のあちらこちらで沖縄戦の犠牲者慰霊のための追悼式が営まれた。

県民にとって6月23日は、戦没者の御霊を慰めるだけにとどまらず、二度と再び戦争を起こしてはならないとの決意を新たにする日である。

摩文仁では沖縄県主催の沖縄全戦没者追悼式が執り行われた。

翁長雄志知事は、平和宣言で普天間基地を辺野古に移す作業の中止を訴えた。

一方、安部首相は辺野古を口にすることなく、「沖縄の振興をさらに前に進め」、「基地負担軽減に全力を尽くす」とあいさつした。

追悼式では毎年、小中高生による平和の詩が作者によって朗読される。

今年は与勝高校3年生の知念捷君が「みるく世がやるら」を朗読した。

この詩の中に「古のあの琉歌よ 時を超え今 世界中を駆け巡れ」との一節がある。

古のあの琉歌(うた)として引用されているのが「戦世や済まち みるく世ややがて 嘆くなよ臣下 命どぅ宝」である。

琉歌の最後の部分「命どぅ宝」は、かなり知られている思うし、沖縄では交通安全の標語にも使われたりする。

この駄文も、知念くんの「時を超え今 世界中に駆け巡れ」との願いと呼びかけに、微力ながら応えんとするためである。

この琉歌は、琉球王朝最後の王となる第19代琉球国王尚泰(しょうたい)の作と言われている。

尚泰は1866年に即位し、1879年の明治政府による琉球処分によって王位を奪われ、東京での居住を命じられた。

因みに、池上永一の小説「テンペスト」に登場する尚育王は、尚泰の父にあたる。

明治政府の琉球処分によって、首里城を明け渡し東京に出立する日、首里城には多くの家臣と民衆が押しかけて、わからを惜しんだと言われている。

尚泰が集まった人々に向けて詠んだのが「戦世や済まち みるく世ややがて 嘆くなよ臣下 命どぅ宝」であると伝えられている。

尚泰としては、琉球の取り潰しを悲観し、あるいは怒り、あるいは絶望し、あるいはうすがなしーめー(尚泰)の身の上を案じるあまり、臣下が自害することのないように「命は大事にしろよ」と語りかけたのであろうと解釈できる。

(注)私は、この琉歌が真実尚泰の作かどうかについては、正直なところ知らないし、それを追求する気もない。
思うことは、日本国憲法第9条が乱暴に踏みにじられ、日本が戦争に近づこうとしている今、この琉歌が「世界中を駆け巡る」ことを、知念君と同じく願わずにはいられない。

私は外国語はからっきしなので、この琉歌に心が動いた外国語に堪能な方が、英語、スペイン語、フランス語、ドイツ語等に訳して発信していただくことを願う。