今日の地元2紙は、6月23日の慰霊の日について、各地の新聞社説をそれぞれ10紙転載している。

重なるところを除けば、毎日新聞、朝日新聞、読売新聞、北海道新聞、東京新聞、岩手日報、新潟日報、信濃毎日新聞、神戸新聞、山陰中央新報、愛媛新聞、西日本新聞、熊本日日新聞、南日本新聞の14紙である。

慰霊の日について社説に取り上げるのであるから、沖縄になぜ慰霊の日があるのかについて触れるべきは当然である。事実、多くの新聞が県民の4分の1が犠牲となったことに触れている。また、戦争体験者や遺族の声をひろい、集団自決や避難先での筆舌に尽くせない苦しみについて書いている。

そのうえで、現在安倍政権が強行している普天間基地の辺野古移設と、国の安全保障について筆を進めている。

これらの社説の中にあって、際立っているのは読売新聞の論調である。

読売新聞は「現実的な基地負担軽減を図れ」との見出しで社説を掲げている。
そこには、沖縄戦のことも、今なお苦しみを抱えながら生きている戦争体験者も一切姿を見せない。
翁長雄志知事と安部首相との対立構図を強調し、政権側の主張を繰り返すだけである。

翁長雄志知事が平和宣言で「『選挙で反対の民意が示されており、困難だ』と述べ、中止を求めた。『沖縄が(辺野古移設の)代替案を出しなさいとの考えは到底許容できない。』とも語った。」と紹介した後に「犠牲者に哀悼を捧げ、平和への誓を新たにする場を利用し、自らの政治的主張を全面に出したことには、違和感を禁じ得ない。政府との対決姿勢を強調するだけでは、この複雑で困難な基地問題を解決することはできない。」として、翁長知事を避難する調子の言葉を連ねている。

一方で、安部首相のあいさつについては「沖縄の負担軽減に全力を挙げる考えも改めて表明した。」と持ち上げる。

同じあいさつを聞いても「心に届かぬ首相の言葉(信濃毎日新聞)」、「沖縄の声は聞こえたか(毎日新聞)」との見出しで社説を掲げた新聞もあり、見出しに使っていないまでも沖縄の現実を直視し、民意に応えるよう求める論調が多いなかで、やはり際立っている。

読売新聞は、そうして「この現状を打開するための実現可能な選択肢は、辺野古移設しかない。」と結論付けるのである。

読売新聞も指摘しているように、慰霊の日は「犠牲者に哀悼を捧げ、平和への誓を新たにする場」である。

沖縄にとって「平和への誓を新たにする」とは、観念的なものでは決してないことである。
沖縄戦をたたかった米海兵隊員が陣中日誌の最後に「戦争のすべてを見た。もう十分だ」と記しているように、悲惨極まる沖縄戦の体験から、二度と戦争を起こしてはならないとの思いを新たにし、戦争につながる動きを止めようとする具体的で現実的な誓なのである。

であればこそ、翁長雄志知事の平和宣言は、民意を踏みにじって基地を増強し、アメリカに操をたてて何が何でも戦争に突き進もうとする安倍首相を前にして、県民を代表して言わなければならない言葉なのである。

読売新聞が掲げた「現実的」という言葉は、「長い者には巻かれろ」という意味しかない。

政府(強者)の言うことには県民(弱者)は、不満があっても付き従えという、まさに強者の論理を振りかざし、安倍政権の応援団の役割を果たしていると言わざるを得ない。

沖縄戦の犠牲者は、礎に刻銘されている人々だけではない。
戦争で傷を負い、肉親や親しい友人や学友を失い、戦後70年経った今でも心に重荷を背負って生きている全ての人々が犠牲者なのである。

慰霊の日は、これら生き残った犠牲者の声に耳を傾け、心を寄せる日でなければならないと思う。