イハ洋一ニュースイハ洋一後援会ニュース2号に「公約を破り、辺野古新基地を推進するユクサーよりマクトゥーを」との文字が踊り、県内移設反対から辺野古移設容認へ転換ー公約を破った国会議員のうち4人は先の衆院選1区から4区で落選(比例で復活)。残っているのはあと一人です。(参院選で復活はありません)と続く。

残った一人が自公推薦の現職大臣、島尻安伊子候補である。

2009年の衆院選小選挙区で全滅した自民党県連は、このまま辺野古移設を掲げると選挙に勝てないとして、県外移設に方針を転換し、2010年参院選の島尻安伊子氏、2012年衆院選の4氏も「普天間は県外移設」を県民に公約して当選した。

2010年7月13日の琉球新報は、次のような記事を掲載している。

「琉球新報社は12日午前、11日に投開票された参院沖縄選挙区で再選された島尻安伊子氏(45)=自民公認、公明県本支持=を那覇市天久の本社に招き、インタビューした。米軍普天間飛行場返還・移設問題で、自民党本部の政策と異なり「県内移設反対」を公約したことについて島尻氏は「自民といえども地元合意なしに米軍再編を推し進めることはできない」と述べ、「党本部で発言したいし、話をする余地はある」と県内移設反対を党内、国政で訴える考えを示した。」

ところが、2013年11月、自民党の島尻安伊子氏を含む国会議員5氏は、当時の石破幹事長とともに記者会見に臨んだ。石破幹事長は、得意満面で沖縄県選出の国会議員5人全員が、辺野古容認に転換したことを述べた。

しかし、島尻氏はそれより前に変節している。

2013年4月23日付の沖縄タイムスは次のように報道している。

「県選出の島尻安伊子内閣府政務官は、22日の参院予算委委員会で、米軍普天間飛行場の移設について「沖縄として取るべき道は、間違いなく日米が合意して進めようとしている道だと確信している」と述べ、日米両政府が進める名護市辺野古への移設が現実的な策との見解を示した。」

それから後は辺野古推進一直線と言うほかない言動を続けている。

★2013年11月5日 「難産になるかもしれないが、待望の子ども(=辺野古新基地)が生まれた時にはみんなでお祝いをしてもらえる環境にしていきたい」

★2014年2月5日 参院予算委員会、辺野古埋め立てに伴う住民らの反対運動に対し「危険な行為に先んじて対策を打つことが必要だ。」

★2015年4月4日 自民党県連大会 名護市辺野古の新基地建設を許さない市民の反対運動について「責任のない市民運動だと思っている。私たちは政治として対峙する」「反対運動の声の大きさに恐れおののかず、毅然と冷静に物事を進めないといけない。」

★2015年12月3日 アメリカのシンポジウムで、米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設について「問題を解決すべき時で、それはすぐに普天間を辺野古に移転すべきだという意味だ。」

挙げれば枚挙にいとまがない島尻安伊子氏だが、今回の出馬にあたっては「あらゆる選択肢を排除しない」(6月21日「沖縄タイムス」)、「普天間の固定化を避けるというのが私の基本姿勢であり、県外移設撤回は苦渋の選択だった」などと述べている。

こんなところがユクサーと言われる所以だろうか。

あらゆる選択肢と言っているが、島尻氏も安倍首相も辺野古以外に選択肢を挙げたことはない。

安倍首相、菅官房長官、中谷防衛大臣らは口を揃えて「辺野古が唯一」としか言わないし、島尻氏自身辺野古以外の選択肢を提示することもなく、それどころか、すぐに辺野古に移転せよと主張している。

普天間の固定を避けることについては、辺野古に反対する人も、賛成する人も異論はない。しかし、それがどうして普天間の固定化回避=辺野古移設となるのか、まったく説明できていない。

あの仲井真知事でさえ、「固定化という発想、言葉が出てくるのは一種の堕落だ」(2013年11月1日の定例記者会見)と強く批判していたではないか。

どうして「自民といえども地元合意なしに米軍再編を推し進めることはできない」から、「地元合意なしに米軍再編を推し進めることができる」に変わったのか?

島尻氏は「苦渋の選択」を口にするが、苦渋を舐めさせられ、にがく苦しい思いをしているのは県民である。

島尻氏は公約を撤回することにより、自民党からの除名を免れたばかりか、閣僚の椅子に座ることができ、苦渋に余りあるアメを手に入れたと言える。

ユクサーよりマクトゥー

「県民の誇りと尊厳をかけて、イハ洋一候補の勝利を!」

(6月22日の出発式での翁長雄志知事の応援演説)