◇1946年、宮古土建労働組合が結成され、メーデーを計画したが、米軍は天然痘の流行を理由に集会禁止令を出して中止させる。

◇1947年、八重山では沖仲仕組合が結成され、メーデーを準備したが、米軍は4月30日、武装米兵を出動させて中心的メンバーを検挙してメーデーを圧殺した。

◇1953年、立法院前広場のメーデー会場周辺には、MP、CIC(米軍防諜舞台)、警官隊がたむろし、参加者の写真をとりまくって威圧、妨害を加える。
 メーデー直後には「共産分子は誰か」という8ページの怪文書をばらまき、恐怖心を植え付けようとした。

◇1954年、メーデーを前にした4月24日、米軍は「5月1日はカール・マルクスの誕生日、共産党員でない人々は共産党の集会(メーデー)に参加すべきでない」と発表し、マスコミを通じて報道させる。

メーデー当日には、会場にCICが乗り込んで参加者の写真を撮りまくって威圧し、メーデー会場近くで「琉米親善ロデオショー」を開いて妨害した。

米軍権力の圧力に屈し、「メーデーに参加した者は解雇する」と警告を発する企業もあった。

                   以上は「沖縄人民党の歴史」から抜粋

4月5日にもたれた翁長雄志沖縄県知事と菅義偉官房長官との会談で、翁長知事は菅官房長官が「粛々とするめる」と発言していることに対して、「上から目線でキャラウェイ高等弁務官と重なる」と批判しました。

沖縄県労連は、明日の5月1日、第86回メーデーを、那覇市の与儀公園で開催します。

参加者に配布する毎年のメーデー要項に「メーデー一口メモ」と題して、メーデーに関する話題を提供していますが、今年は翁長・菅会談にヒントを得て、「米軍によるメーデーへの弾圧」を掲載することにしました。

明日配布予定の内容を公開します。

但し、「メーデー一口メモ」欄は僅かなスペースですので、上記の記載は米軍によるメーデー弾圧のほんのわずかな一部ですので、その点はご了承ください。