わがままの哲学去る6月14日、全国の憲法学者226人が、安倍政権がゴリ押ししようとする安全保障関連法案に対する声明を、連名で発表しました。

新聞に掲載されていたお名前をずーっとたどっていると、懐かしいお名前を見つけました。

若尾典子先生(佛教大学教授)です。

沖縄県労連が結成された1990年から数年後まで、先生は沖縄で生活されていました。

とても気さくで親しみやすく、さまざまな学習会で講師をお願いしてきた先生で、大変お世話になっていました。

その当時(奥付を見ると1992年12月発行)、若尾典子先生が著した本に「わがままの哲学~わたしのことはわたしが決める~」があります。

その頃流行りだしたセクシュアル・ハラスメントに関する学生の議論から、筆を起こしているが、本書のはしがきで次のように述べています。


「性的役割を打破し、新しい女と男の関係をつくるプロセスが始まっている。国際女性年から女性差別撤廃条約批准(85年)までの10年間、「男は仕事、女は家庭」は女を差別するものだ、という発見に女の熱気が集まった。女を縛る観念を否定するとき、女の連帯が見えてきた。」

「個人的にも社会的にも、男の価値観で女が序列化され、男の思惑から外れる女は「わがまま」だと避難される。それにひるまず、もう一歩踏み出す。すると何かが変わる。こわがらず、「女のわがまま」を女達で育てあいたい。何をきっかけに女は変わるのか。女の変わる姿を女たちで共有できれば、というのが本書の動機である。」


 男の目でみれば、「女のわがまま」と見えることであっても、そのわがままを貫くことで女性に対する性差別を取り払うことに繋がるとの視点からの、わがままのすすめとなっています。

目次にざっと目をとおすだけでも、様々なわがままが取り上げられています。

・男の都合で夫婦はしません

・私の名前はかえません

・嫁になったおぼえはありません

・制服は着ません

・産む、産まないは、私が決めます

・買う男はいりません

等々が大見出しとなっていますが、わがままは小さなところからでも良いのです。とはいえ、小さなわがままでも勇気のいるこではありますが。

・ちょっと女の子、と呼ばれて私用に使われる。腹がたつから、名前を呼ばれないかぎり、知らん顔して笑わないようにした。

・宴会でビールつぎは女の役割と思っていたけど、気にせずに飲むことにしたら気分がいい。

等々の事例も挙げられています。

さて、「わがままの哲学」が世に出た1992年から23年経過したが、どれだけのわがままがわがままでなくなり、当たり前のことと社会に認知されてきたのだろうか?

残念ながら今でもこの本で主張している諸点は23年前の古い本と片付けられない内容を保っていると思います。

もう書店で見つけることは困難だとは思いますが、機会がありましたらぜひご一読をお薦めします。(amazonには中古で検索にひっかかりました。)

文体も平易で読みやすく、若尾先生には失礼かとは思いますが、読み物としても面白い内容です。

蛇足を承知で記しますが、性差別に限らず、国民一人ひとりが自我を確立し、「いやなものはいやだ」とはっきり主張することが、ますます大事な社会になっていると思います。

「沖縄は3000億円も一括交付金をもらっているのに、基地を嫌だというのは沖縄のわがままだ。」と論じる皆さんがいます。

この主張には事実誤認があり、事実を知らせる努力はするにしても、「中央政府の価値観で地域・国民が序列化され、中央政府の思惑から外れる地域・国民は「わがまま」だと避難される。それにひるまず、もう一歩踏み出す。すると何かが変わる。」のではないでしょうか。

基地問題だけでなく、原発の問題しかり、TPPしかり、平和という名の戦争法案しかり。

イヤなものはイヤ!

みんなでわがままを貫きとおしましょう。

わがままの哲学―わたしのことは わたしが決める

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