本日(2019年2月8日)付の沖縄タイムス2面に、「辺野古の問題は中立」「就任1年 渡具知名護市長に聞く」とのインタビュー記事が掲載されている。

渡具知氏は、昨年2月4日に行われた市長選挙で、現職の稲嶺進氏を下して市長となった。

その渡具知市長は、辺野古の埋立てについて次のように答えている。

記者ー辺野古の海では軟弱地盤などの問題で完成の見通しが立たないまま、埋立てが工事が進んでいる。

渡具知市長ー国と県の今後の推移を見守るしかない。私が行政の長としてたとえ「工事をするな」と言ったとしても状況は変わらない。翁長雄志知事も最高裁判決に基づいて、埋め立て承認の取り消しを取り消した。法に基づいてしか解決されない。」

自身が預かる名護市に米軍基地が建設されているのに対して「国と県の今後の推移を見守る」として、“我関せず”の立場を取り続けることが、果たして行政の長として正しいのだろうか。

市長選を制した直後に、渡具知氏は「 私は容認ということで選挙に臨んでいない」と述べている(2月6日付沖縄タイムス)」

辺野古の基地問題は、名護市民にとって重要な末代までの問題である。

なぜなら、その耐用年数は200年とされ、米軍はそこには100機のオスプレイ配備を計画している。

普天間基地から海兵隊員がやってくる上に、配備されるオスプレイに関連する要員も当然増えることになる。

米軍兵士による事件・事故も増えることが容易に想像できる。

そうであれば、名護市の行政の長として、「『工事を止めろ』と言ったとしても、状況は変わらない」などと傍観するのは許されないのではないか。

安倍政権に後押しされている渡具知市長にすれば、市長になる前の言動から「反対」は口が裂けても言えないだろう。

それならそれで、「政府からお金をもらうためには、基地に賛成(あるいは容認)する」と、はっきり打ち出すべきである。

「いじめを見過ごす者は、いじめに加担していることと同じ」と言われるが、今の渡具知市長の姿勢はまさにそれと同じで、工事が進んでいるのにそれを見過ごしているのは、それに加担していると言われても仕方がない対応だ。

ついでに言えば、「『工事を止めろ』と言ったとしても、状況は変わらない」というのは、現状追認・長いものには巻かれろの思考だと言える。