今日4月1日から消費税が現行5%から8%に引き上げられた。
庶民の懐を寒くする大増税であり、税の応能負担原則にも反するものである。

ところで、本日のテーマは消費税そのものではなく、消費税の大増税に伴って、あるいはそれ以前から報じられているマスコミの論調についてである。

今日の新聞紙面に「デフレ脱却と社会保障の財源確保は、いずれも待ったなしの課題だ。政府は増税で家計に負担を求める以上、社会保障の効率化など予算の無駄を徹底してなくする姿勢が不可欠となる。」との一文がある。

予算の無駄を徹底してなくすことは当然である。
しかし、社会保障を挙げるのが妥当なのかどうかである。

効率化とは削減の別表現である。
上記の文脈では、社会保障は予算の無駄遣いの代表的なものであり、削減の対象である、と主張している。

社会保障が予算の比較的多くを占め、年々その費用が増大していることがあるにせよ、それが無駄と断定すべきものなのか?
削減対象のチャンピオンとして削減攻撃を受けているその社会保障は、決して憲法25条が定める「健康で文化的な最低限の生活を営む」ものにさえなっていない。
消費税は「高齢化社会に対応するため」に3%で導入され、「社会保障のため」にと5%に引き上げられ、今また「増税分は全額社会保障に使う」として8%に引き上げられるが、その社会保障は削減につぐ削減で少しも良くなってはいない。むしろ悪くなっているのである。

高齢化社会が進行するに伴って、社会保障費が増大するのは自明のことである。
それでも、生活保護の捕捉率(生活保護基準以下の所得水準である人のうち生活保護を受けて人の割合)は2~3割に過ぎないのである。増税分から重点的に使うと言っている子育て分野にしても、待機児童問題は深刻である。
社会保障はいっそうの充実が求められている分野である。

予算の無駄を削れと主張するには良いがその代表例として社会保障を挙げるのは失当である。
国民には自己責任を説き、社会保障は自助、共助が基本だとする正当や政治家に限って、自助努力を放棄して公助(国民の税金)に頼りきっている政党助成金こそ無駄の最たるものである。
また、米軍に対するおもいやり予算もそうである。
公共事業も大胆に見直すことが必要である。

「社会保障の効率化など予算の無駄を徹底してなくする姿勢が不可欠」などと書くことは、そしてそれを繰り返すことによって、国民の頭にさりげなく「社会保障は無駄で削減の最大の対象」と刷り込むことにより、さらなる社会保障の削減をめざす政府のお先棒を担ぐ役割を果たすことになる。自戒を求めたい。