昭和46年(1971年)、屋良朝苗琉球政府主席は、県民の声を国会で審議中の沖縄県間協定に反映させるべく、「復帰措置に関する建議書」(屋良建議書)を携えて上京しました。ところが、自民党はよりによって、沖縄選出議員の質問途中、しかもその後に沖縄選出議員2人の質問が控えているなかで、強行採決をしてしまいました。

復帰50年を迎える今年、復帰に託した県民の願いを振り返ることも意味のあるものと考え、屋良首席が自ら書き起こした「はじめに」を掲載します。

昭和46年11月

復帰措置に関する建議書

琉球政府

一、はじめに

沖縄の祖国復帰はいよいよ目前に迫りました。その復帰への過程も、具体的には佐藤・ニクソン共同声明に始まり、返還協定調印を経て、今やその承認と関係法案の制定のため開かれている第六七臨時国会、いわゆる沖縄国会の山場を迎えております。この国会は沖縄県民の命運を決定し、ひいてはわが国の将来を方向づけようとする重大な意義をもち、すでに国会においてはこの問題についてはげしい論戦が展開されております。

あの悲惨な戦争の結果、自らの意志に反し、本土から行政的に分離されながらも、一途に本土への復帰を求め続けてきた沖縄百万県民は、この国会の成り行きを重大な関心をもって見守つておリます。顧みますと沖縄はその長い歴史の上でさまざまの運命を辿ってきました。戦前の平和の島沖縄は、その地理的へき地性とそれに加うるに沖縄に対する国民的な正しい理解の欠如等が重なり、終始政治的にも経済的にも恵まれない不利不運な下での生活を余儀なくされてきました。その上に戦争による苛酷の犠牲、十数万の尊い人命の損失、貴重なる文化遺産の壊滅、続く二十六年の苦渋に充ちた試練、思えば長い苦しい茨の道程でありました。これはまさに国民的十字架を一身にになつて、国の敗戦の悲劇を象徴する姿ともいえましよう。その間大小さまざまの被害、公害や数限リのない痛ましい悲劇や事故に見舞われつつそしてあれにもこれにも消え去ることのできない多くの禍恨を残したまま復帰の歴史的転換期に突入しているのであります。

この重大な時機にあたり、私は復帰の主人公たる沖縄百万県民を代表し、本土政府ならびに国会に対し、県民の卒直な意思をつたえ、県民の心底から志向する復帰の実現を期しての県民の訴えをいたします。もちろん私はここまでにいたる佐藤総理はじめ関係首脳の熱意とご努力はこれを多とし、深甚なる敬意を表するものであります。

さて、アメリカは戦後二六年もの長い間沖縄に施政権を行使してきました。その間にアメリカは沖縄に極東の自由諸国の防衛という美名の下に、排他的かつ恣意的に膨大な基地を建設してきました。基地の中に沖縄があるという表現が実感であります。百万の県民は小さい島で、基地や核兵器や毒ガス兵器に囲まれて生活してきました。それのみでなく、異民族による軍事優先政策の下で、政治的諸権利がいちじるしく制限され、基本的人権すら侵害されてきたことは枚挙にいとまあリません。県民が復帰を願った心情には、結局は国の平和憲法の下で基本的人権の保障を願望していたからに外なりません。経済面から見ても、平和経済の発展は大幅に立ちおくれ、沖縄の県民所得も本土の約六割であリます。その他、このように基地あるがゆえに起るさまざまの被害公害や、とり返しのつかない多くの悲劇等を経験している県民は、復帰に当っては、やはリ従来通りの基地の島としてではなく、基地のない平和の島としての復帰を強く望んでおります。

また、アメリカが施政権を行使したことによってつくリ出した基地は、それを生み出した施政権が返還されるときには、完全でないまでもある程度の整理なり縮小なりの処理をして返すべきではないかと思います。

そのような観点から復帰を考えたとき、このたびの返還協定は基地を固定化するものであリ、県民の意志が十分に取リ入れられていないとして、大半の県民は協定に不満を表明しております。まず基地の機能についてみるに、段階的に解消を求める声と全面撤去を主張する声は基地反対の世論と見てよく、これら二つを合せるとおそらく八〇%以上の高率となります。

次に自衛隊の沖縄配備については、絶対多数が反対を表明しております。自衛隊の配備反対と言う世論は、やはリ前述のように基地の島としての復帰を望まず、あくまでも基地のない平和の島としての復帰を強く望んでいることを示すものであります。

去る大戦において悲惨な目にあった県民は、世界の絶対平和を希求し、戦争につながる一切のものを否定しております。そのような県民感情からすると、基地に対する強い反対があることは極めて当然であリます。しかるに、沖縄の復帰は基地の現状を堅持し、さらに、自衛隊の配備が前提となっているとのことであります。これは 県民意志と大きくくい違い、国益の名においてしわ寄せされる沖縄基地の実態であります。

さて、極東の情勢は近来非常な変化を来たしつつゝあります。世界の歴史の一大転換期を迎えていると言えましよう。近隣の超大国中華人民共和国が国連に加盟することになりました。アメリカと中国との接近も伝えられております。わが国も中国との国交樹立の声が高まリつつあります。好むと好まぬにかかわらず世界の歴史はその方向に大きく波打って動きつゝあリます。

このような情勢の中で沖縄返還は実現されようとしているのであリます。したがって、この返還は大きく胎動しつつあるアジア、否、世界史の潮流にブレーキになるような形のものであってはならないと思います。そのためには、沖縄基地の態様や自衛隊の配備については慎重再考の要があります。

次に、核抜き本土並み返還についてであリます。この問題については度重なる国会の場で非常に頻繁に論議されておりますが、それにもかかわらず、県民の大半が、これを素直には納得せず、疑惑と不安をもっております。核抜きについて最近米国首脳が復帰時には核兵器は撤去されていると証言しております。ところが、私どもはかつて毒ガスが撤去された経緯を知っております。

毒ガスでさえ、撤去されると公表されてから、二ヶ年以上も時日を要しております。毒ガスよりさらに難物と推定される未知の核兵器が現存するとすれば、果して後いくばくもない復帰時点までに撤去され得るでありましようか。

疑惑と不安の解消は困難であるが、実際撤去されるとして、その事実はいかにして検証するか依然として不明のまま問題は残ります。

さらにまた、核基地が撤去されたとしても、返還後も沖縄における米軍基地の規模、機能、密度は本土とはとうてい比較にならないと言うことであります。

復帰後も現在の想定では沖縄における米軍基地密度は本土の基地密度の一五〇倍以上になリます。なるほど、日米安保条約とそれに伴う地位協定が沖縄にも適用されるとは言え、より重要なことは、そうした形式の問題より、実質的な基地の内容であリます。そうすると基地の整理縮小かあるいはその今後の態様の展望がはっきり示されない限リは本土並基地と言っても説得力をもち得るものではありません。前述の通り県民の絶対多数は基地に反対していることによってもそのことは明らかであります。

次に安保と沖縄基地についての世論では安保が沖縄の安全にとって役立つと言うよリ、危険だとする評価が圧倒的に高いのであります。この点についても、安保の堅持を前提とする復帰構想と多数の県民意志とはかみ合っておりません。県民はもともと基地に反対しております。

ところで安保は沖縄基地を「要石」として必要とするということであります。反対している基地を必要とする安保には必然的に反対せざるを得ないのであリます。

次に、基地維持のために行なわれんとする公用地の強制収用五ヶ年間の期間にいたっては、これは県民の立場からは承服できるものではあリません。沖縄だけに本土と異る特別立法をして、県民の意志に反して五ヶ年とい う長期にわたる土地の収用を強行する姿勢は、県民にとっては酷な措置であります。再考を促すものであります。

次に、復帰後のくらしについては、苦しくなるのではないかとの不安を訴えている者が世論では大半を占めております。さらにドルショックでその不安は急増しております。くらしに対する不安の解消なくしては復帰に伴って県民福祉の保障は不可能であリます。生活不安の解消のためには基地経済から脱却し、この沖縄の地に今よリは安定し、今よりは豊かに、さらに希望のもてる新生沖縄を築きあげていかねばなリません。言うところの新生沖縄はその地域開発と言うも、経済開発と言うも、ただ単に経済次元の開発だけではなく、県民の真の福祉を至上の価値とし目的としてそれを創造し達成していく開発でなければなリません。従来の沖縄は余りにも国家権力や基地権力の犠牲となり手段となって利用され過ぎてきました。復帰という歴史の一大転換期にあたって、このような地位からも沖縄は脱却していかなければなりません。したがって政府におかれても、国会におかれてもそのような次元から沖縄問題をとらえて、返還協定や関連諸法案を慎重に検討していただくよう要請するものであります。

さて、沖縄県民は過去の苦難に充ちた歴史と貴重な体験から復帰にあたっては、まず何よリも県民の福祉を最優先に考える基本原則に立って、⑴地方自治権の確立、⑵反戦平和の理念をつらぬく、⑶基本的人権の確立、⑷県民本位の経済開発等を骨組とする新生沖縄の像を描いております。このようなことが結局は健全な国家をつくり出す原動力になると県民は固く信じているからであリます。さらにまた復帰に当って返還軍用土地問題の取扱い、請求権の処理等は復帰処理事項の最も困難にしてかつ重要な課題であります。これらの解決についてもはっきリした責任態勢を確立しておく必要があります。

ところで、日米共同声明に基礎をおく沖縄の返還協定、そして沖縄の復帰準備として閣議決定されている復帰対策要綱の一部、国内関連法案等には前記のような県民の要求が十分反映されていない憾みがあります。そこで私は、沖縄問題の重大な段階において、将来の歴史に悔を残さないため、また歴史の証言者として、沖縄県民の要求や考え方等をここに集約し、県民を代表し、あえて建議するものであります。政府ならびに国会はこの沖縄県民の最終的な建議に謙虚に耳を傾けて、県民の中にある不満、不安、疑惑、意見、要求等を十分にくみ取ってもらいたいと思います。そして県民の立場に立って慎重に審議をつくし、論議を重ね民意に応えて最大最善の努力を払っていただき、党派的立場をこえて、たがいに重大なる責任をもち合って、真に沖縄県民の心に思いをいたし、県民はじめ大方の国民が納得してもらえる結論を導き出して復帰を実現させてもらうよう、ここに強く要請いたします。