安倍内閣が教員の給特法改正法案を閣議決定

「安倍内閣が、教員の勤務時間を1年単位の変形労働時間制の導入を、自治体の判断でできる教職員給与特別措置法改正案を18日に閣議決定した。」

10月19日付の琉球新報は下記のように報じている。

長時間労働が深刻な教員の働き方改革の一環と位置付け、忙しい学期中の勤務時間を引き上げる代わりに、夏休み中の長期休暇を取りやすくするなどの狙いがある。

4月など一部の時期に限って勤務時間を週3時間増やし、代わりに8月の休日を5日増やす形

を、文部科学省は想定しているとのことである。

変形労働時間制では問題は解決しない

教員の働き過ぎ、いや働かされ過ぎは大きな問題となっている。

病気休職が多く、なかでも精神疾患がその大きな要因となっている。

単に、1年間をならして週40時間にすれば良いなどというものではない。

教員は、子どもたちを相手に仕事をしているのであるから、“どうすれば子どもたちにとって良いのか”が問われなければならないと考える。

現場の声に耳を傾けることから始めよ

5月18日に琉球大学で開催された「教師の『魅力』を考えるシンポジウム」の詳報が、5月24日付の琉球新報に掲載されている。

県内の公立中学校教諭の神里竜司氏は次のように述べている。要約して紹介する。

8時間以上働いたら1時間の休憩時間があるのは当たり前だが、学校の先生に聞くと「は?」となる。

45分あった休憩時間が清掃後に20分、帰る前に25分と分割し始めた。20分の休憩時間は生徒と向き合うとなくなる。放課後には校内研修、職員会議、学年会議がある。そうすると25分の休憩時間はあってないようなものだ。

特に小学校の先生は休憩時間がない。小学校の先生はいつも教室にいる。朝、子どもの登校前からいて、1時間目から6時間目まで違う教科の用意をしなければいけない。どこにも空いている時間がない。

中学校もほとんどの学校は部活動は全員顧問制だ。個人戦がある競技は大変だ。生徒には勝ってほしいが、先生の時間は削られる。

職場でアンケートをとると、98%の先生が働き方改革は必要だと思っているが、今の教員の数では絶対に不可能だ。人を増やさなければいけない。

県外の公立高校教諭の斉藤ひでみ氏は次のように述べている。同じく、要約して紹介する。

部活は任意なのに、ほぼすべての教員が強制されているという実態がある。校長に「職務なのか」と問うと、「職務かどうかはわしにも分からない。職員には職務と思ってやってもらいたい」と言われた。

部活動に限らず、ほとんどの仕事は時間外を余儀なくされる。担任や校務分掌を引き受けたら時間外勤務になる。おしかしたら、時間外勤務は職務命令じゃなくて全て「お願い」じゃないかと思う。

誰かがやらないといけない仕事が山ほどある。義務感の強い人は、お願い残業の地獄に身を置かざるを得ない。誰かがやらざるを得ない残業に対価が払われていない。だから残業が減らない。どうしても発生する残業には対価を払うべきだ。さらに残業の上限を設定すべきだ。全部民間では当たり前だ。

結局のところ、残業時間を残業時間でない時間に置き換えるだけ

安倍政権が閣議決定した「1年単位の変形労働時間制」の導入は、現場の悩みに応えるものとは思われない。

残業時間が多いのであれば、他の時季に振り替えることによって「残業時間を少なくしよう」というだけではないのか?

これで、現場の教職員が抱える悩みは解消できるのか?

教員のしている知人は、「報告書やら何やらの事務作業が増えて、子どもと向き合う時間が取れない。」との悩みを吐露していたが、これは多くの教職員に共通している悩みであろう。そのうえ、部活を見ることになると教材研究などできない。

今は、安倍首相が“国難”と呼ぶ、少子化が止まらない。

この時だからこそ、教師を増やして少人数学級を実現し、事務作業や部活の問題を整理し、教師が子どもと向き合う時間を十分にとれるようにすることが必要だと思う。

このシンポジウムで基調講演を行った内田良名古屋大学大学院准教授は次のように述べている。

先生たちは真剣に遅くまで働いている。学校でやっていることは全部意義があるが、順位付けが重要だ。子どものためであっても優先順位の低いものはやめる。教育は無限だが教員は有限だ。教師が労働者として健全に教壇に立って初めて、万全の授業ができて、子ども一人ひとりに向き合える。

給与に4%の教職調整額を上乗せする給特法は大きな問題を抱えている。定額働かせ放題だ。(長時間労働の要因となる)部活動は制度設計がない。人・モノ・金が何も用意されていない。教育課程外の自主的な活動という位置づけだ。自主的な活動は暴走しやすい。

部活動の時間は、2016年から17年は伸びていたが、17年から18年は減少している。世の中は変わる。希望をもってほしい。」

果たして、1年単位の変形労働時間制の導入が、希望のもてる制度といえるのだろうか。

それは大いに疑問だ。