作曲家・古関裕而の作曲家人生がモチーフの朝ドラ『エール』

作曲家を志したのは、音楽の才能を見出した音楽教師の言葉〝人よりほんの少し努力するのが辛くなく、ほんの少し簡単にできること、それがお前の得意なもの〟

「教えるとは希望を語ること」(ルイ・アラゴン)を想起させる場面。

いい「出会い」がその後の人生を左右し得ると感じた。

名曲数多を遺した古関の作曲家人生において7年間は戦時下。

“音楽創作では悪夢の時代”、“仕事と割り切り時流任せ”で『露営の歌』など軍歌百近く世に出す。

悲哀感ある曲の背景に古関自身の戦地体験があるが、敗戦翌年の盛り場で『露営の歌』歌う傷痍軍人を見て戦争責任を痛感。

軍歌を送り出した罪責を償うかのように、戦後は人々に希望と平和を伝える名曲を遺した。

敗戦から75年。観つづけておきたい作品である。(い)