アメリカの要求に唯々諾々として従う政府・防衛省。
否、むしろ沖縄に米軍基地を必要としているのは、米軍より日本政府であることはすでに明白である。

何が何でも辺野古に米軍基地を押し付けようとする人間には、今回の総選挙で示した宜野湾市民の気持ちは、一生かかっても理解できないだろう。

普天間基地を抱える宜野湾市の投票結果は、辺野古移設反対の照屋寛徳候補の2万0919票に対して、県外移設の公約を投げ捨て、辺野古容認に転じた自民党の宮崎政久候補の得票は1万4732票にとどまり、その票差は6178票である。

12月19日付の琉球新報は次のように報じている。

「政府は、普天間飛行場を抱える宜野湾市で、辺野古移設に反対の対立候補が6千票上回ったことで落胆の色を濃くしている。」
「防衛省幹部は、『あれだけ危険性除去を宜野湾市のために訴えていたのに、情けない』と吐き捨てるように語った。」<引用終わり>

県民のチムググル示した宜野湾市民

宜野湾市民は、いつまでも普天間基地が居座って良いとは思っていない。
それどころか、街のどまんなかに居座り、基地被害を住民に与え、街づくりの障害になっている普天間基地は、直ちになくしてほしいと願っている。

 しかし、宜野湾市民は「辺野古でも、どこでも良いから移してほしい。」とは思っていない。
自分たちの苦しみを、辺野古・名護市の住民に付け替え、同じ苦しみを味わせるのは忍びないと考えているのである。
あんなきれいな海を潰して基地を辺野古に移しても、それで沖縄の基地問題が解決するわけではない。宜野湾からも、沖縄からも基地をなくしてほしい、のである。

この防衛省幹部は、「普天間基地の危険性除去」、「普天間基地の固定化を避ける」と叫べば、宜野湾市民が賛成し、自民党候補に投票してくれると考えていた節があるが、それは大きな思い違いである。

人間は社会の中で生きている社会的存在である。
みんなが、「自分だけ良ければ、他の人はどうなっても構わない」ということを、行動する基準に据えて行動した場合、無秩序な、殺伐とした、人間社会とはもはや言えないような状況が生まれるだろう。

今年の入ってだけでも、1月の名護市長選挙、9月の名護市議会選挙、11月の県知事選挙、12月の総選挙の4回に渡って、辺野古への米軍基地建設ノーの民意が示されている。

このような民意に目を塞ぎ、耳を塞いで辺野古への基地建設を強行することを至上命題とする人間は、人間としての在り方まで忘れてしまうものらしい。

宜野湾市民は、県民のチムググルを内外に示したのであり、防衛省幹部から「情けない」と言われる筋合いはない。 

むしろ、このような宜野湾市民の気持ちを理解できない防衛省幹部こそ情けないと言わなければならない。