作年(2016年)の8月24日付沖縄タイムス社の論壇に「道徳的視点 経営に重要 改めて渋沢式哲学考え直す」との論考が掲載されている。

投稿者の名前に興味をひかれて目を通してみた。要約すると次のような内容である。

新興国では渋沢栄一の経営哲学に学べとの機運が高まっている。

米国でもB企業に対する評価が高まり、その先駆けとして渋沢式経営哲学が注目され始めている。

渋沢の経営哲学として「左手に算盤、右手に論語」について、ビジネスを論語の道徳的観点から実践するという道徳経済合一の思想であり、B企業のBとはベネフィット=恩恵のことで、社会に恩恵をもたらすことで盛況する企業を指すと紹介されている。

そして、「論語に限らず、いかに道徳的であるかは企業経営のみならず、国や地方自治体の公共経営についても重要。成熟社会日本の時代に即した道徳観が求められる。」と述べたうえで、「渋沢式経営哲学を考えながら、官民それぞれの事業分野において、改めて道徳的な異議を認識すると同時に、それが私たちのくらしと未来の利益に資するかという視点が重要であろうと改めて思った次第である。」と論考を締めくくっている。

それだけであれば、「そういう考え方をする経営者もいるんだな」でとおり過ぎかもしれないが、論者が論者なだけに、強烈な違和感を覚えたのである。

この人が経営する会社は 労働基準法第32条違反、労働者7名に36協定の延長時間を超える違法な時間外労働を行わせたとして、今年3月に書類送検され、おきなわ労働局のホームページでも公表されている企業である。

また、過去には180時間を超える残業で、自殺未遂を図った労働者もいた企業である。

経営者が「道徳的な意義を認識」し、「私たちのくらしと未来の利益に資する視点が重要」と思ったとして、「私たち」のなかには、自分の会社で働く労働者は含まれないのだろうか?

「くらしと未来の利益」どころか、自らの生命を自ら絶とうとする労働者の存在していた事実を前にして、道徳的意義(論壇では自らの道徳観は触れられていない)を強調する資格があるのかと問いたい。

道徳的意義を強調するのも結構、くらしと未来の利益に資する視点を強調するのも結構である。

だが、そんなことを口にする前に、経営者として“法律を守る最低限の責務”を果たしてもらいたいものである。

そのことを抜きにして、何を口にしても空疎なものにしか聞こえない。