ある書籍を読み直そうと思い立って手にとってみた。
その本に2001年12月7日付の毎日新聞の切れ端が挟まっていた。
「おーい 父親」の欄に,汐見稔幸東大教授が一文を寄せている。
見出しは,「君死にたまふことなかれ 今こそ晶子の思いを共有」となっている。
抜粋・要約して紹介すれ。
あゝをとうとよ君を泣く
君死にたまふことなかれ
末に生れし君なれば
親のなさけはまさりしも
親は刃をにぎらせて
人を殺せとをしへしや
人を殺して死ねよとて
二十四までをそだてしや
与謝野晶子の「君死にたまふことなかれ」は,日露戦争に出征する弟(籌三郎)の無事を祈った反戦歌であることは、誰もが知っていよう。
晶子に無事を祈られた籌三郎は,無事に帰って,大阪堺の羊羹で有名な「駿河屋」を継いでいる。
晶子はこの弟を,兄弟弟妹のうちでも特に気に入っていた。
等々のことが記されて後で,汐見教授は「この晶子の情熱的な想いを,戦争があちこちで拡大しそうな今だからこそ,共有すべきだと改めて思う。」と述べている。
2001年といえば,9月11日にニューヨーク・ツインタワーへの同時テロが引き起こされた年である。
この同時テロを端緒に,2003年にはアメリカ等によるイラク攻撃へと突き進んで行くのであるが,きな臭さが漂うなかで,この一文が書かれたものと理解している。
安保法制などを強行して,日本を“戦争する国”に変え,戦争のための米軍基地,自衛隊基地の拡大・増強をはかり,憲法9条さえ変えようとしている安倍政権のもとで,汐見教授の「この晶子の情熱的な想いを,戦争があちこちで拡大しそうな今だからこそ,共有すべきだと改めて思う。」との心境は,17年後の現在にも通用する内容を持っている。
誠に残念と言える。
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