沖縄史を駆け抜けた男昨日,福地曠昭さんが亡くなったとの一報を受け,今日は一日沈んだ気持ちに陥っていた。

新聞2紙は,多くのスペースを割いて,福地曠昭さんに関する記事を掲載している。

生前「自分の半生は,そのまま沖縄の戦後史だ」と語っていたとの記事もあるが,それは決して誇張した言葉ではない。

福地さんが著した「沖縄史を駆け抜けた男」を一読すれば,沖縄が誇る歴史的なたたかいに,福地さんが常に身をおいていたことがよく分かる。

福地さんは革新共闘会議の事務局長として,革新政党や労働組合をまとめ,選対本部の陣頭に立って指揮をとり,屋良朝苗主席や喜屋武真栄参議院議員の誕生に貢献してきた。

私は,1983年の参議院議員選挙に出馬した喜屋武真栄さん(故人ですがさん付けします)の選対本部で,教宣部副部長の任にあたっていた。

選挙実務の経験が全くないなかで,諸般の事情から印刷物の作成と発送,印刷業者との対応など一手に引き受けざるを得ない状況となった。

大きなミス,小さなミスを繰り返し,その都度福地さんに助けてもらい,何とか任務を果たすことができた。

AとOの取り違え事件

キャン真栄さんのキャッチフレーズとして“私も あなたも みんなキャン”を思いついたまでは良かったが,全県配布の印刷物に載せるときに凡ミスを犯してしまった。

キャッチフレーズを英語にして,“I can You can All can” とすべきところを,・・・Oll can としてしまったのだ。

結果は当然,苦情の電話が入り,選対会議でも非難された。

大金をかけた印刷物でミスを犯したのだから,私は頭を下げるしかなかった。

その時,福地さんが「やってしまったことは仕方がない。今後は私に相談するように」ととりなしてくれたお陰で収まった。

この件で,福地事務局長から叱責されたことはなかった。本人が失敗したと自覚していることについて,あれこれ言うことはないと思っていたのかも知れない。

ポスター色あせ事件

選挙戦も中盤に入った頃,掲示板に貼ってあるキャンさんのポスターが色あせているとの電話が相次いで入るようになった。

当然,矛先はポスターを担当する私にくる。当たり前だ。

そのままでは,キャンさんのイメージダウンにも繋がりかねないので,慌てたし,焦った。

印刷業者を呼んで,事情を尋ねたところ,「太陽光にさらされても色落ちしないように薬品をインクと混ぜるんだけど,薬品を入れるのを失念していた」との返事。

最終的に,印刷業者のミスと判明したが,福地事務局長には釈明と,共闘会議に結集する組織の皆さんには貼替え作業で余分な労力をかけることになってしまった。

この時の参議院選挙をはじめ,多くの選挙でご一緒させていただき,多くのことを学ばせていただいた。

福地さんのご冥福を心から祈らずにはいられない。