50年前の今日(1970年12月20日)、那覇市内の高校2年生だった私が登校すると、クラスメートが「コザで大変なことが起きた」と興奮気味に話していた。何でも、バイクを飛ばしてその「大変な事」見てきたとのことだった。

当時の私はノンポリであまり新聞を読むこともなかったので、「コザで大変なことが起きた」ことは、クラスメートの話で初めて知った。

それまでも沖縄では米兵による事件・事故が頻発し、不条理がまかり通っていたことは耳にしていたし、1968年のB52墜落事故の時は、校庭に椅子を持ち出しての全校集会で中学校の先生からの話を聴いたりはしていた。

中学校を卒業するまで生まれ育った宮古島には、米軍基地と言えば野原の通信基地くらいしかなかったこともあり、そのような出来事も、どこかよそ事のような感じで受け止めていたのは確かである。

そんななかで起きたコザ騒動は、私が社会に目を向けるきっかけとなった事件でもあった。

この事件を米軍は「暴動」としているが、黒人の米兵らが「沖縄の人々は、米軍支配下で不当な扱いを受けている。軍隊の中で差別されているわれわれと同じだ。事件は、沖縄の人々による美しい行為だ。黒人の兵士は沖縄の人々とともに、世の中の矛盾を解決したい」と沖縄の人々に連帯を示すビラを作成していたこと(本日付沖縄タイムス紙)に、心に温かいものを湧いてくる。

本日付琉球新報紙面

コザ騒動から50年、沖縄の何が変わったのだろうか?